コラム

社会的に容認された狂気、社会的に否認された正気

 R.D.レインは『体験の政治学』で、「狂気とは、義憤にかられた人間性(outraged humanity)の情熱的な叫びである」と記したが、逆に、ネガティブな文脈に、人間性や、いわば「ホンネ」を封印してしまった。

 これは、「精神科医」とも目されていたレインの、当時のイギリスの雰囲気なのかも知れないが、止めることも下船することもできない組織の「泥船」にも似て、「計画どおり、警告どおり」(佐野元春)とアーティストに揶揄される日本の現実と、似て非なるものなのかも知れない。

 さて、これらを「社会的に容認された狂気、社会的に否認された正気」とまとめると、精神疾患を患う人や「KY」とも言われる発達障害児者は、そんな高度に人工的になり過ぎた社会が名付けた「名前」「レッテル」であり、合わせ鏡のように、似た症状を呈し合う場合もあるように思える。

 あるいは、逆に、社会や集団から疎外することで症状をもたらしてしまうこともあるのではないかと、わたしは人災的な意味合いも感じるときがある。

 正義を標榜した社会的な狂気も、狂気と目された個人的な正義も、どちらも不健全だし、みな包摂した社会正義に向かうべきと書くことは、やはりそれこそが残された道なのだと、わたしは結びたい。

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