コラム

福祉をする、「こころ」と「かたち」

 福祉にかぎらず、何事にも「こころ」と「かたち」というものがあるとわたしは思っています。

 「こころ」のみ重視だと、相手の思いを押しつぶして、お仕着せがましい「恩売り」になってしまいますし、「かたち」のみ重視だと、中身がない教科書の読書会で終ってしまいます。

 しかし、明敏なみなさま方ならお察しかと思いますが、「こころ」と「かたち」の両方がないと、「思い」も「器」もなく、器がなくびしゃびしゃにこぼれた思いか、中身の伝えるべき思いがない器だけ存在するというありさまになってしまいます。

 なので、大事な思いとその思いを容れる器、この両方を大切な両輪として、物事を見ていきたいと思っています。

 どんな思いがあってもいきなり相手を怒鳴る思いは、何か間違っていると思いますし、ただ大きな声を出さなければノーミスという「つまらない(?)」人にどんな思いがあるのか分かりにくいと思います。また福祉は、本人の支援と同時に、親御さんなど介護など支援する人の負担軽減も視野に入っています。

 親なき後の支援は(「亡き」にかぎらず)、これまで介入できなかった勢いで、行政や福祉事業所が一斉に入り、意外とすんなり100%決まるものですが、では親の思いは無駄だったのでしょうか?というとそうではなく、「親に勝る愛」がこの世知辛い世の中に通常あるわけもなく、やはり生きている間はいっぱい愛を受け反発もして欲しいものです。

 妙齢の女性が、世間体では見られたくない欲的な内容の事柄を、すべて「汚れ」「きもい」として異性など相手に投げつける過度に神経症的な傾向は、抑圧のメカニズム(機制)として、自身の問題を、「逆に」すごく外在化しやすいのです。異性など相手はそれを、心を開いた事実として耐える、儀式めいた機序が存在します。

 「こころ」と「かたち」は、「ふつう」という概念ではなく、福祉の世界でも、頻繁に見受けられます。これがやりがいでもあり、痛みでもあるのですが・・・(完)。

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