支援の意図と結果
泥で泥を洗っても泥が入れ替わるだけで、真水でなければきれいにできない。同じように、良かれと思った意図で支援したとしても、そこに自分の「エゴ」が付着していたら、相手にどのような結果をもたらすかは、想像通りではない。
支援はそれでもって生業としているのであれば、障害福祉等のサービスである限り、間接的な代理受領であれ、血税が元手の金銭のやり取りがかかわっている。
であるならば、「嘘の言葉」で訴えても、真の意図はそこになく、相手は自分のしたい方向に向かって逃れていく。
自分が本当の自分を生きていない限り、小手先のスキルでは相手は思うようにはならないし、本当の自分を生きていれば、相手を思うように動かしたいなんて思いもしない。
だから、本心で関わることは重要だと思うが、そもそも「本心」とか「自分」の探求は、底なしの行為だと思う。どこかで「底入れ」も必要だと思うが。
この、考えれば底なし沼のような思路も迷いでしかないのなら、底入れして再び自分を建立する必要はあるのだけど、その自分こそ、嘘ではないし手垢にまみれた表現でもなく語る主体として相対するのだ。
